2012年05月21日

Trap Song [1/6]

※この作品はフィクションです。実在する人物・地名・団体とは一切関係ありません。

Trap Song は志乃遙の別PNである " 椎名ヒロ " 名義で執筆した物語です。
「第8回このミステリーがすごい!大賞」次回作に期待
「第2回講談社BOX新人賞Powers」stones受賞
作品に加筆・修正を加えたものです。

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 第一章

 こんな想像をしたことはないだろうか。
 昔馴染の突然の死。
 それも何らかの事件に巻き込まれ、ある日突然殺されてしまう。
 彼はいたって平凡な男で、犯罪とは無縁な生活を送っていた。
 彼が死んだという事実に疑う余地はないが、殺される理由にはまるで納得がいかない。
 どうしてこんなことになってしまったのか。全くわからない。
 君は、そんな感想を口にする。



「納得したいです」

向けられたマイクに発せられた言葉はデジタル処理で声音を変えられ、
立ち尽くす街角の景観はぼんやりとした画像処理が施され、
具体的な人物も場所も特定できない。だが動揺する十五歳、
という印象を視聴者に与えるには、じゅうぶん効果的な映像になっていた。
俺にマイクを向けたレポーターにしろ、そいつを寄越したテレビ局にしろ、
目的は達せられたってわけだ。呆気なく。
俺はあいつのことを今朝ニュースで観るまで忘れていた。
小学四年の時だ。春から夏まで同じクラスで過ごしただけ。
ある日越してきて同じクラスになり、ある日突然不登校になり学校に来なくなった。
言葉にできる情報は他にない。俺の中の記憶もそれくらい。
携帯が尻のポケットで振動している。相手を確認して耳に当てる。

「マサのことなら知らない」

俺は相手が一言も発する前に全てを台無しにしてやりたくてそう言った。
こいつが電話してきた理由はわかっている。ニュースだかネットだか知らないが。

「そっちじゃない。お前のことだ。敵多いんだから気をつけろって言わなかったか」

呆気なく予想が外れた。

「なんの話だ」
「俺なら三分で解析できる。でも炎上しているサイトを消火するのはつまらない」

あり得る。音声も画像も陳腐なデジタル処理が施されていただけだ。
個人の特定は容易い。そんなことが趣味な奴は腐るほどいる。

「わざわざどうも」
「トラップ仕掛けるってのはどうだ」
「ウイルス?」
「いや。ニューフェイス」

実験させろと言っている。もうそろそろ管理するのも疲れていたところだ。
こいつに引き渡してしまえば楽になれる。
できれば管理権の委譲をガイアで宣言してもらいたいところだが、まあ無理だろう。
今後も俺はネットで火ダルマ。

「好きにしていい。IDはluxor、PASSはmetamorphosis。ただし、足残すなよ」
「誰に向かって言ってる」

言い終わるが早いか、電話は切れた。

マサの遺体が発見されたのは、二日前の八月十七日早朝のことだった。
場所は黒川駅前ロータリー。
ガードレールを背に座り込んでいる彼の姿が最初に確認されたのは
午前〇時をまわった頃で、終電客を待ち受ける
タクシー運転手から複数の目撃談が寄せられている。
彼らの証言はどれも似たり寄ったりだ。
一言で言うなら、まるで眠っているようだったということになる。
両足を投げだし座り込み、両手は軽く肘で曲げられ股間の辺りに置かれていたらしい。
頭はうなだれるようにして、猫背なのか、背中を丸めてガードレールに腰を預けていたと。
酔っ払いがよくやるポーズを想像してもらったらいい。
道端で寝込んでしまったオヤジの姿そのものだ。マサはまだ十五歳だったけど。
マサの姿はそのまま翌朝までそこにあった。
早朝の強い陽射しを浴びても尚、そこにあった。
ただ、身体の周りには水溜まりができていた。
小便を漏らして眠りこけている男、といったところだろうか。

「須磨正一さんはどんな方だったんでしょう。当時のことで覚えていることはありますか」

中学三年生が小学四年生当時を思い返し覚えていることなんて、意味あるか。
俺はこのレポーターの男が何を知りたいのかさっぱりわからなかったから口ごもった。
単にそれだけだったが、男は勝手にストーリーを進展させた。

「お気持ちはわかります。こんな惨い状態で発見されることになって
 心を痛めていることでしょう。犯人に対しておっしゃりたいことはありますか」

人殺しに言いたいこと。
どうして殺したのか。どうして殺す必要があったのか。
殺す以外に手はなかったのか。殺してしまったことをどう思っているのか。

「納得したいです」

レポーターは一瞬だけ疑問をその目に浮かべたが、それは本当に一瞬だけのことだった。
こんなことにはすっかり慣れているのだろう。
俺から未知の情報を引き出したいわけじゃない。
カメラの向こう、テレビモニターを見つめる無数の人間が
求めるものさえ手に入ればそれでいいのだ。
それが例え真実ではなかったとしても、
意味がすり替えられていたとしても、そんなことは問題じゃない。

「そうですね。このような理不尽な行為は断じて許せるものではありません。
 いや、お心苦しい質問をしてしまって申し訳なかった」

俺は取ってつけた誠実さを言葉に織り交ぜる男の目をじっと見ていた。
そこには一つの真実もなかった。

情報によれば、マサは薬を嗅がされ意識を失ったまま、
どこかの冷凍倉庫に放り込まれたらしかった。
氷点下六十度を常に保つ極寒の寝室は、マサの眠りを永遠に約束した。
彼は身に覚えのない契約に則ってそのまま冷凍保存された。
遺体に付着していた成分から、霜の降りたマグロと並んでマサは凍り続けたらしい。
そしてあの日の真夜中、見知った街の片隅に放置された。
やがて夜は明け、降り注ぐ真夏の朝日がマサの身体を覆っていた霜を溶かし、
辺り一面を水びたしにした。だがもちろん、それでマサが再び目を覚ますわけではない。

俺たちはネットで情報を共有している。
パソコンや携帯電話を使って情報をまとめ、整理し、引き出す。
遺体が発見された日の午後には、事実も憶測もごたまぜになった、
マサを巡る情報の全てを俺たちは共有していた。
そこには悪意も妬みも哀しみも嘲笑も同じレベルで存在していた。
あとはそれを引き出す個人個人のセンスと行動の問題だ。
マサは個人サイトを持っていなかったが、例の巨大掲示板上には足跡が残されていた。
それは、日常的に、と言われる頻度で。
でも、そんなものはそれこそ日常的な痕跡だ。
あそこに行かない奴なんていない。

 〉マサのまとめサイトみた?
 〉みた。別にどうってことないよな
 〉あれで殺されるんなら俺らみんなとっくに死んでるよ
 〉納得できない
 〉お前を納得させられるのは、お前だけかもな

たぶんそうだ。共有できる情報の中には、俺たちがまだ知らない真実が眠っている。
それは一見すると、小さなほころびにしか見えないかもしれないし、
いかにも本当臭い嘘かもしれない。
でもそこに真実への道が残されているのなら、必ず、探し出してみせる。

 〉犯人はどんな奴だと思う?
 〉どうせ普通の奴に決まってる

俺はほとんど無意識的にそう書き込んでいた。
俺のコメントに対してレスが続々と書き込まれていく。
同意を表すものも、根拠があるのかと食ってかかる奴も、
くだらない反論も全て同じだ。
どいつもこいつも、この身近で突飛で少しばかりの恐怖を含んだ事件をネタに、
日常を楽しんでいるだけだ。共有する記憶の削除と更新という心踊るイベントを。
くだらない。こんなことに意味なんかない。
でも、そのくだらない日常というウツツが、
二週間後、俺の周りから完全に消え去ることになる。

 1

トーヤマ。
ネットでの俺の名前。もちろん本名じゃない。
実年齢も公表していない。現住所も。性別は偽ってはいない。
最初にトーヤマと名乗って以降、慣習化しただけの意味しかない。
ところで、そもそもトーヤマと名乗る奴は
ネットに無数に存在するから、こんな告白に意味はない。
実際、面倒臭いことも多々ある。
俺が書き込んだものではないトーヤマの発言があちこちにそれこそ無数にあって、
その結果、俺の発言に矛盾が生じる、なんてこともしばしば。
でもだからといってどれが本物かなんて誰が決める?
俺が勝手に自分をトーヤマと名乗っているのと同じように、
無数のトーヤマも全て、自称トーヤマだ。
最初に言ったもの勝ち、なんてルールはない。
俺はネットがそんなに好きじゃない。
ガイアはロムってるだけで、ほとんど書き込んだことはない。
リアルの仲間内だけで管理しているクーパーには、まま顔を出すが。
それなのに、トーヤマという名前はガイアでは相当有名だ。
クーパーの内容を何処かの誰かがガイアにコピーしているし、
俺のサイトに勝手にリンクを張る奴が後を絶たない。
しかもあれこれ尾びれをつけて引率してやがる。
よくある揶揄に自演するな、ってのがあるけど、正真正銘俺がやってるわけじゃない。
俺の熱狂的なファンの仕業だ。それとも狂信的な。

二年前、こんなことがあった。
カクテル4という素人のジャズバンドがあって、
ごくごく希に瑞河駅前で路上ライブをしていた。
不定期だったこともそうだけど、最初の頃は足を止める人もなく、
街の騒音レベルにしか認知されていなかった。

『月に三回。何処かの木曜日の夕方と日曜日の夜。
 三曲だけ演奏して、さっさと姿を消す。
 その時間に駅前を通る奴以外誰も知らない幻のバンド』

ネットで誰かが目撃情報を流し、一つの情報を補完する
複数の目撃談がデコレーションされていった。
やがて偽情報と真実は振り分けられ、正しい法則が発見された。
その全てがネットに流された。
それを更に検証報告して完璧なスケジュールが顕になり、
興味を持った奴が駅前で待ち受けるようになった。
もしかしたら、カクテル4はネット住人の地道な作業を予測していたのかもしれない。
もしそうなら確信犯的に賢い。
路上ライブを始めて僅か十ヶ月。年明けにはメジャーデビューが決まった。
腕がラベルに追いついていなくても関係ないらしく、
舞台への上がり方が劇的であればそれでいいらしかった。そういう世の中だとも言える。

偽情報と正しい情報の振り分けをやったのは俺だ。
方法は簡単。ライブカメラを駅前に勝手に設置し、始発から終電まで、三ヶ月間監視し続けた。
推理でも何でもない。地道な検証作業。ただそれだけだ。
必要なことは、自分一人で行うこと。他の誰の情報にも左右されない。
自分で見たものだけを信じること。それだけ。
俺は単純な事実を突き止めガイアに書き込んだ。
興味本位の、ただの検証作業だ。
でも、今では俺もこのカクテル4を取り巻く一連の事件の主要メンバーであり、
そこに純粋な好奇心があったなんて思ってる奴は一人もいない。
何処の馬の骨とも知れないジャズバンドと同じ。
全て仕組まれたこと。前もって組み立てられていたシナリオ。

騙されることを嫌うのは、現実世界以上にネット世界の住人の大きな特徴かもしれない。
別のトーヤマが放った偽情報を、嘘で固めた検証作業でネットへと解き放ち、
あたかも真実であるかのように情報は広まった。
その結果、カクテル4のメジャーデビューは闇に消え、バンド自体も駅前から消えた。
以降、一度も目撃されていない。

最初のトーヤマも、後のトーヤマも、全て本物のトーヤマだ。
俺にはとやかく言う資格はない。
面倒臭い事態に巻き込まれるのもゴメンだ。
でもな。トーヤマの名前を捨て去る気はない。俺はこれからもトーヤマだ。

桐生大和。
実社会での俺の呼び名。キリュウヤマト。十五歳。中学三年生。
来年には集兵される。父親は軍関係。母親は専業主婦。
妹が一人。桐生つぐみ。キリュウツグミ。十二歳。小学六年生。
ごく普通の一般家庭ってやつで、そんなに貧乏でもなく、むちゃくちゃに裕福でもない。
オヤジが郊外に買った持ち家のローンはまだ二十年以上残っているし、自家用車はダサいエコカー。
面白くもなんともない。かっこよくもない。
携帯が鳴っている。デフォルトの着メロが鳴る。俺は液晶画面を確認する。

「どうした」
「ヤマト、怖い」

俺は普通にしゃべってる。

「まだ時間あるだろ」
「まさかまだ家ってことはないよね」

部屋の時計を確認する。大丈夫、間に合う。

「余裕だろ、裏道飛ばせば」
「相変わらずだなあ」
「予定狂うから切るぞ」
「あっそう、どうもすみませんね、邪魔しちゃって」

唐突に切れた。まあ、いい。
俺はボンジッパーのキャップを目深に被り、年季の入ったメッシュグローブをはめた。
メーカー名は既に擦り切れて読めない。
ヘッドのウエストバッグの中身は昨晩から準備万端だ。
起床時間も朝食の時間も天気も予定通り。
部屋を出てリビングに顔を出し、ツグミに帰宅予定時間を告げる。

「お兄ちゃん、悪いんだけどノート貸して」
「お好きにどうぞ」

ツグミは俺より高性能な携帯を持っているがパソコンは持っていない。
携帯でしたいことは事足りるからだというが、
その癖しょっちゅうパソコンを貸せと言ってくる。
ノートにはヤバいデータを入れてないから構わないが。
チャンピオンのインディアナローのブラックを履いて、ガレージに向かう。
バイクはスコットのランサムにしよう。ちなみに今決めた。
俺はマウンテンバイクを二台所有している。

アスファルトとタイヤのブロックパターンが奏でる心地よい走行音に浸りながらペダルを踏む。
今年の夏も涼しい。八月も残り二週間を切った今、三十度に満たない日もあるくらいだ。
待ち合わせ場所の菖蒲川時計台まで十分程だろうか。
スピードメーターの時計を確認する。待ち合わせ時間まで残り十一分。
黒川駅前を抜けるのが最短ルートだとスピードメーターのGPSは告げているが、
そんな指示に従っていては予定時刻に間に合わないだろう。
GPSは歩道の人混みをデータに持っていない。
衛星情報と交差点に設置されている観測機のデータ、
それにGPS端末が発信するトラフィックで
道路上の渋滞情報は容易に手に入るようにはなったが、
移動する障害物としての人間はまだ無理だ。
もっとも、そんなもの求められてもいないかもしれないが。
車道を走る車が歩道の人混みを気にしたり、するか?

駅前ロータリーが見えてきた。
俺は一つ前の交差点から裏道に入り込む。
ここらは陽が沈めば行き交う人間で溢れるが、今はまだ昼前だ。閑散としている。
路上には収集を待つゴミの山とそれにたかるカラス。
まるで半年前から放置されているかのような車。
煤けた社会。誰かが言っていた言葉が蘇ってくる。
誰だったか。ガイアかクーパーで見たんだっけ。
それともどっかのニュースサイトか。
この街は中心地だけがいつまでも燃え続け、
その周囲を燃えかすのような街が取り囲んでいると。
ごもっともな意見だ。
薄汚れた雑居ビルもアスファルトも枯れ枝だけの街路樹もまるで燃えカスのようだ。
あいつ、どうしてこんなところにいたんだ。
マサが最後に目撃されたのがこの辺りらしかった。
まとめサイトの情報によれば、マサが拉致されたのは七月十五日の深夜。
正確な時間まではわからないが、おおよその時間は判明している。
ガイアの過去ログを漁ってみた結果、日時に関する書き込みは五十件程あったが、
信憑性の高いのはその内四件。
その四件を目撃地点及び目撃者情報、当日の他の事件等と突き合わせ検証し、
七月十五日の午前二時頃だと断定した、何処かのトーヤマが。
YOKOO3ビルの地下に入っているクラブ・モンティパイソンが最後に目撃された場所だ。
これは警察発表なので、まあ間違いないだろう。
七月十四日の午後十一時半くらいにモンティパイソンを後にしたマサは、
その僅か半径二百メートル内で三時間後に何者かに拉致され、
何処かの冷凍倉庫で凍らされ、一ヶ月以上経ってから路上に放置された。
マサが発見された駅前ロータリーもここから直線距離で二百メートル以内。
全てこの辺りで起きている。
きっと、この場所に何かしらの意味があるに違いない。
俺はペダルを踏む力を一瞬落としたが、
視界に入ったスピードメーターの時刻表示に気持ちを切り替えた。ヤバい。
黒川駅を背後に古びた住宅街に入る。
こちら側は再開発の波からはじき出されたエリアで、
子供の頃から見知った店や風景が今も色濃く残っている。
その分、街そのものはいくらかくたびれていて、そこに住む人々も同じだった。
深山太一と嶋本和美はこの街の住人だ。
ここから菖蒲川時計台までは目と鼻の先。
県道二十四号線が緩やかに登っているのが前方に見える。
その先には菖蒲橋がある。
俺はギアを一段軽くすると、両足に力を込めペダルを踏んだ。
橋の向こう側に菖蒲川時計台が見える。残り一分。余裕だ。

「こういうのってさ、間に合ったって言うのかな」

タイチがデジカメをヤマトに向けたままぼそりと言った。
録画モードでカウントが進行しているデジカメの液晶画面に、
汗だくで息の上がったヤマトの顔が映っている。

「ようは待ち合わせ時間さえ越えなければいいんだよ」
「ゴールならそれでもいいかもしれないけど、スタートだぜ」
「フライングしたわけじゃない」

俺はマウンテンバイクを降りると、
カズミが無表情に差し出したペットボトルを口に運んだ。

「面白い解釈だな、それ」

タイチはデジカメのシャッターボタンを押して
ビデオ録画モードを止め、迷彩模様のデイバッグにしまった。

「それよりもさ、早く行こうよ。始まっちゃうじゃん」

自分のマウンテンバイクに跨がってカズミは真上を仰ぎ見る。
時計台の歪んだ文字盤がそこにはある。

「大丈夫だって、予定通りなんだから」

俺はペットボトルのスポーツ飲料を半分程飲み干し、
残りを自分のマウンテンバイクのボトルゲージに装着した。

「まあ確かに。昼までに着ければ新型は拝める」
「輸送機は? 見れないじゃん」
「それは諦めたほうがいいかも。最初から予定に入れてないんだし」
「なんでよ、私は物資投下もみたかったのに」
「はあ? だったらなんで昼からに間に合うスケジュールで納得したの。考えればわかるじゃん」

無視だ。二人のくだらないやりとりなんて。

「だってヤマトが十一時って言うから」
「はいはい、またヤマトかよ」

捨て台詞を残し、真っ先に走り始めたのはタイチだ。
カズミが一度俺の顔を睨み付け、タイチの後に続いた。
俺は一つ溜め息をついて、二人を追う。

菖蒲川時計台から桂ヶ崎空軍基地まではフラットな道がずっと続く。
菖蒲川を遡るようにして一時間ばかり走ればいい。
先程から既に空には空軍機が飛び交っている。
FA‐18Eスーパーホーネットが三機編隊で南から低高度で進入していくのが見えた。
空軍の次期主力戦闘機だが、まだ導入されていないからあれはアメリカ海兵隊の機だろう。

「すごい音」

ホーネットに視線を貼りつけたまま、俺の隣でカズミがペダルを踏む。

「流石に三機同時はすごいよな」
「あれに乗りたい」

カズミの将来の目標は戦闘機パイロットだ。
空軍はエリートだからまずムリだとは思う。
少なくとも、来年空軍に入れる見込みは皆無だ。
その先のこととなれば断定はできないが、とりあえず、防衛大学を目指す必要はある。

「最高にエリートじゃん。カズミじゃムリだろ」
「そんなの、まだわかんないじゃない」

タイチの言葉には馬鹿にするような響きよりも、
純粋に残念がっている雰囲気が感じられて、それがカズミには気に入らないようだった。
確かに、道は恐ろしく険しい。
それに、もしも戦闘機乗りを目指すのであれば
三年後に資本社会には復帰しない、ということになる。
戦闘機パイロットは集兵が安易に到達できる地点ではない。

「タイチは三年終えたらどうするつもりなんだ?」
「話飛んでるぞ」

でもタイチは俺の言葉をすぐ理解してくれる。

「俺はブラジリア・オリンピック狙ってんだ」

三年務めるつもりはないと言ってる。
それも、一つの厳しく険しい選択肢だ。

「来週競技会だったな」
「まな板の上の鯛だよ」
「鯉でしょ、鯉」

兵役免除が与えられる一つの道としてスポーツ特待がある。
ただしそれは戦闘機パイロットと同レベルの難関だ。

「我が家じゃあ昔っから鯛なんだよ」
「そんなわけないじゃない、貧乏人のくせに」
「なんで話がそっちに行くんだよ」

うちは確かにまな板の上に鯛だな。
そんなことを思っていたら携帯が振動しているのに気付いた。
俺は後ろ手にウエストバックのポケットからブルートゥースのヘッドセットを取り出し、
受話ボタンを押しつつ左耳にセットした。これで走行中でも無線通話が可能だ。

「誰」
「俺」
「どうかしたか」
「そうだな、選択肢は二つ。テーマはお前、それともお前のコピー」

謎かけは嫌いじゃない。時と場所さえ選べれば。

「例のトラップ?」
「じゃあそっちから話す。トラップはあの後すぐに仕掛けた。
 お前のPCが掛かってるのが意味不明だけどな」

しまった。さっきツグミに貸したノート。

「それは俺じゃない。身内だ」
「身内ねえ。案外身内に敵がいたりしてな」
「言いたいことがあるなら言え」
「別に。それでトラップに掛かったPCだが、特に症状出たりしないから気にするな」

こいつに気にするなと言われて気にしないでなんていられるわけがない。
あのノートはもう廃棄処分だ。

「スパイウェア?」
「時には。もちろん自制装置は完備している」

自爆スイッチ付き、ということか。

「どうやったらスイッチ入るんだ」
「それは管理者権限だから言えないな。もうお前のサイトの話じゃないし。
 それに、ある意味お前のPCでもない」

相変わらずふざけた奴だ。いざとなったら頭を下げろと言ってやがる。

「わかったよ。それでもう一つの方はなんだ」
「ガイアのトーヤマがマサを殺した犯人を吊るし上げた」
「それは本当の犯人なのか」
「そうだ。フォーセグでも観てみろ。五分もしたら速報が出るだろう」

俺はそっとブレーキをしぼり、バイクを止めた。
二人は気付かずに先に行ってしまう。
そして俺は声を細めて先を続ける。

「お前が突き止めたのか」
「いや、俺じゃない。別のトーヤマだ。
 それじゃあな。そうそう、かわいい彼女と細マッチョな友達によろしく」

電話は切れた。くそっ。何処からか監視してやがる。
そうか、時計台だ。あそこにはライブカメラが設置されていたはず。

「マサのこと?」

俺の隣まで戻ってきたカズミが訊く。いつの間に。
タイチは十メートル程先で立ち止まりこっちを伺っている。

「殺った奴が捕まったって」

俺は携帯を握り締めたまま、ストラップのおもちゃの籤引きを指先で弄んでいた。
小さな穴から籤が飛び出す。凶。

「ほんと? 良かったじゃん」

カズミは口元だけ微笑んでそう言った。
でも目ははっきり心配気な様子を浮かべて。
俺が思ってることを見抜いてる目だ。
そうだな。
俺は口の中で答え、再びペダルを踏み走り出す。
空軍基地はもう目と鼻の先だ。
パステルカラーのバルーンが幾つか上がっているのが見える。
併設された駐車場は既にそのほとんどが埋まっていて、
それでも入り口には長蛇の列が延びている。
空軍の航空祭は、この夏、街一番の人気イベントだ。

中本真也はパチンコ屋にいるところを逮捕された。
抵抗するそぶりもなく、また逮捕時に犯行も認めたらしい。
警察の発表では、二十歳の無職の男で、マサとの面識は全くないということだった。
液晶画面の中で、逮捕直後の模様が中継された。
男は痩せていて、坊主頭。
警察車両の後部座席でうなだれている男の顔には、
生きる気力のようなものが全く見受けられず、
まるで生きていくことを放棄したかのような印象だ。
速報にも関わらず、マスコミは容疑者の個人情報をいくらか掴んでいた。
報道センターで原稿を読むキャスターは、
声に一切の感情を滲ませることなく、淡々と事実を伝えた。
中学校を卒業し陸軍で三年の任期を終え退役。
軍では特に問題を起こしたという記録はないそうだ。
退役後はアルバイトを転々としており、犯行当時、
今回の事件に関わりがあるとされる港区の冷凍倉庫でアルバイトをしていた事実が判明している。
冷凍倉庫を所有する食品卸会社からの正式なコメントはまだない。
液晶の一番デカいタイチの携帯で、三人してフォーセグ放送を観た。
即席の駐輪場には二十台程の自転車が停められていたが、周りには俺たち以外に人影はなかった。
ニレの木陰で速報を見終え、俺は残っていたスポーツ飲料を飲み干した。

「どう思う?」
「よくある事件にたまたま運悪く巻き込まれたって感じか」

確かに、そう見える。
犯行動機の不明な通り魔的な犯罪は毎日のように発生している。
でも、納得できない。
わざわざ凍らせて一ヶ月も経ってから路上に放置する必要があるのか。
それもまた動機なく行われたというのか。

「詳しいことはまだこれからみたいだし、とりあえず、中入ってメシ食おうぜ」

この事件については、もっとよく情報を整理してみる必要がある。
まだ何かあるはずだ。逮捕によって新しい情報も出てくるだろうし、
ネットには今こうしている間にも続々と有象無象の書き込みがされているはず。
その中に真実へのヒントがある。
それとも、既にもう誰かがそこに辿りついただろうか。俺以外のトーヤマが。
いったい何処のどいつが犯人を突き止めたんだ。ふざけんな。

「猛烈に焼きそばが食いたくなってきた」
「ヤマトってそればっか」
「ほんと、お前って焼きそばバカだよな」

空軍基地内は休日の御坂通りのような混雑だった。
客層も似ていなくもない。
去年公開された空軍パイロットを主人公にした、
イケメン俳優主演の映画のせいで若い女性がやたらと多い。

「なんかさ、ちゃらちゃらし過ぎ」
「モデル撮影会なんて去年はなかったよなあ。
 それも男のモデルまで来るってどういうことよ」

カズミは、自分は真剣に戦闘機パイロットを目指している、と言いたいんだろう。
タイチが入り口で貰ってきたパンフレットを見ながらぼやいている。

「ニーズに答えたいのはわかるけどさ、軍なんだし」
「まあね。ただ、膨大な軍事費を捻り出すのにニッチな市場の支持はプラスになるってことだろ」

俺は大盛り焼きそばを一人で二人前たいらげた。
ムカムカした時は何故だか焼きそばが食いたくなる。

「なんだそりゃ」
「女性の支持があれば誰も文句言わない、ってことでしょ」
「世界は女でまわってんだ」

学校で習ったことより、ネットで知った情報のほうが納得できることが多い。
最近は正しいか間違ってるかより、自分が納得できるが納得できないかのほうが重要な気さえする。
何処からか、場違いなシュプレヒコールが響く。
だが、電気信号に変換された怒声は意味を成す言葉としてここまで届かないようだった。

「なんだ今の」

タイチは立ち上がり、複数の人間のがなり声に耳を傾ける。
メインゲート方向のようだ。
風に運ばれるシュプレヒコールは、拡声器からの割れた怒声と、
多くの人間の声が混ざり合っている。
意識を向けてみれば、集兵制反対、軍隊解体と繰り返しているのが聞き分けられた。
まただ。最近は軍関係のイベントでは必ずこういったことが繰り返される。

「反対派のデモだな。ほっとけ。警察も来てるし」
「集兵制反対ってやつね」
「最近多いよな」

ネットでも頻繁に取り沙汰されているし、
その是非を問うようなテレビプログラム、雑誌記事なども多い。
でも正直言うと、俺たちには近し遠しで興味が沸かない。
来年になれば、俺たちはみな集兵される。
その事実が覆されることなどあり得ない。
もしも憲法改正を前提に国会審議にかけられるとしても、何十年も先になるに決まっている。
その証拠にこのネタはもう四半世紀前から続いている。
進展もなく。変化もなく。
マスコミは視聴者の反応を伺っているだけで何ら結論を下すこともないし陽動もしない。
プロパガンダに対してネットは容赦がないが、深い洞察はない。
どっちもどっちだ。

「さ、メシも食ったし、場所とりに行こうぜ。位置悪かったら離発着見れないぞ」
「もうムリだろ」

タイチが腕時計とプログラムを見比べながら言った。
去年も航空祭に来たのはタイチだけだ。
一番興味がなさそうなふりして実は一番楽しみにしている。

「ええっ、バイパーゼロの編隊離陸なんてブルーでしか見られないんだよ」
「わかってるよそんなことは。カズミはネットで調べてないからそんなこと言えるんだよ。
 どうしても編隊離陸見たかったら、朝一でゲート前に並ぶくらい気合い入れなくちゃムリなの。
 去年までだってブルーのアクロはそうなんだぜ。
 それが今年は初のF‐2Bだろ。ムリに決まってんじゃん」
「そうなのか。そうならそうと言ってくれたらいいのに」
「は? 教えてたらヤマト朝から並んだか」

それはない。

「もうなんでもいいから早くいこ」

ブルーインパルスの曲技飛行は一時半からの予定になっている。
遅れてなければ、もう十分もない。
エプロン脇のロープで仕切られたエリアには既に大勢の人々が駆けつけており、
滑走路に近づく程身動きがとれない状態になっている。

「もう、なによこれ」

カズミの身長は一五八センチ。
地上にいる青白カラーのF‐2Bの姿をはっきり見るのは難しいだろう。
横一列に並んで駐機中の六機の姿は真っ青な夏空の下、とても美しい。
俺たちは少しでも見やすい場所はないかと
人波を縫うようにじわじわと前進を試みたけれど、それもすぐに無駄な努力だとわかった。
最前列は最新の一眼レフデジカメをセッティングしたアマチュアカメラマン達で埋め尽くされていた。
場内アナウンスがブルーインパルスの曲技飛行の開始を告げる。
戦略戦闘機連隊第二大隊、三国基地第十二空軍所属、空軍唯一のアクロバットチーム。
六名のパイロットが詰めかけた観客に向けて敬礼し、
観客の拍手に見送られ、愛機のコックピットへと収まる。
女性アナウンサーの六名の戦士を称える紹介が終わり、
大音響でロックミュージックが鳴り響く中、
パイロットと管制官との無線でのやりとりがスピーカーから流れる。
そして、一番機のコールを合図に全機がエンジン始動。
六つのジェットエンジンから発せられる音がすさまじい。
一番機を先頭に、六機が滑走路をタクシングし、スタート位置につく。
いよいよだ。
突然、一番機がアフターバーナーを始動。
それまでの六機のエンジン音をかき消すかのような爆音を轟かせた。
まさかのアフターバーナーテイクオフ。
一番機が最大出力で滑走路を突き進む。
残り五機のエンジン音を吸収するかのように、物凄い爆音と共に空へと浮き上がり、
超低空を維持したまま地平線の彼方へ消えて行った。
観客の間からため息が漏れる。
滑走路上のエンジン音が高まっていく。
次はダイヤモンドテイクオフだ。
二番機から五番機が、への字型に並び、一斉にスタート。
今度はアフターバーナーは使っていない。
それでも四機同時の離陸の迫力は格別だ。
折り重なるジェットノズルに霞む滑走路を背景に、四機が同時に地上を離れる。
そして五番機が後方へと回り込み、ダイヤモンド陣形を取り、
そのまま形を崩すことなくロールしながら急上昇していった。
ラスト。六番機のエンジン音が高まっていく。
アフターバーナーオン。エンジンノズルが咆哮を上げる。
スタート。ガクンと一瞬機体が沈み、
次の瞬間重力を無視した巨大な力で九千キログラムもある金属の固まりは
前へ前へと押し出されていく。爆音と共にスピードは増し、
やがて前輪が地上を離れる。その時、後方から別の音が聞こえてくる。
一番機だ。タイミングを合わせ、再びアフターバーナーを全開にし、
大地を離れたばかりの六番機を追い越していく。

それは美しい光景だった。
遥か天頂には四つの光輝があり、今二つの音速の光が
澄み渡る高空へと競い合うように舞い上がっていく。
音と、光と、そして大地と大空に、俺の意識は吸い込まれていった。

 2

急速冷凍し長期間そのまま放置した場合、死体は著しく乾燥した状態になる。
だが発見された遺体の状況はその事実を覆す内容だった。
マサの遺体は水溜まりの中に発見されている。
これはマサ殺害を自供した中本真也の供述書にその答えが記されている。
遺体を冷凍倉庫から運び出す一時間程前に水を掛けたと。
だが、どうして、という疑問に中本真也は未だ答えていない。
また、凍った身体を深夜に運び出し、朝日で溶かす必然性というものを、
マスコミは取り上げ語ることもない。
犯人逮捕というアンサーは、事件そのものを収束させる。

クーパーにログイン。
スレは俺が最後に書き込んでから既に二つ進行している。
この数日で二千近い書き込みがあったということになる。
ざっと過去ログに目を通す。
マサを殺った犯人逮捕の速報が入る直前から急速に書き込みが増えている。
別のタブでガイアのスレを開く。こちらはもっと進行している。
二桁進んだスレ全部に目を通す気にはなれない。
次はマサのまとめサイトを開く。
ガイアのログから拾ったコメントが列挙されている。
管理人は公正な立場を崩すつもりはないらしい。
明らかな誹謗中傷は一切掲載されていない。

俺が知りたいことは三つ。
一つは何故あの日マサと犯人があの場所にいたのか。
二つ目は犯行動機だ。通り魔的な犯行という説明には納得がいかない。
三つ目はどうして一ヶ月もの間冷凍倉庫に放置したのか。
凍死させることが目的であるのなら、それこそ一時間もあればいい。
死体の隠匿場所として冷凍倉庫を選んだという解釈は成り立つかもしれない。
でも、それならどうして一ヶ月後に拉致現場近くの目立つ場所に放置する必要があったのか。
必然があるはずだ。そうでなければ、納得できない。
だが、クーパーのスレにも、まとめサイトにも気になるような書き込みは見つからなかった。
クーパーはもともと自分が通っている学校の仲間しか書き込めないサイトだから、
新しい情報が出てくることはないかもしれない。
まとめサイトはガイアのスレからテーマに
関連があると思われるコメントをチョイスしただけのサイトだ。
管理人により、必要かそうでないかのより分けがされている。
ガイアの過去スレを全部読むしかない。
低俗で猥雑で読む価値のない多数のコメントを
読まなければならないのかと思うと気が乗らないが、他に手がない。

ドアがノックされる。

「いる?」
「いるよ」

ツグミが頭だけ覗き込んでこっちを窺う。そうして何かを確認しているかのよう。
俺のデスクトップパソコンのモニターにはお馴染みのニュースサイトが開かれている。
ツグミは不自然さを感じさせない流れを見せて、
次のステップで片手にノートを抱え部屋に入ってくる。

「ノートありがと」
「もういいのか」
「うん」

俺は死亡宣告済みのノートを受取り、デスクトップの上に置いた。

「お兄ちゃんさ、あの事件の人と仲良かったっけ」
「いや。あの日、朝のニュース観るまですっかり忘れてた」
「ふうん、そっか」
「なんか言われたのか」
「かっこいいって言った子が五人かな」
「俺の人気にも陰りが見えてきたな」
「ばっかみたい」

心底呆れ果てた口調でそれだけ言うとツグミは部屋を出ていった。
ツグミの評価が正しいかどうかは置いといて、不自然な様子は特に感じられなかった。
俺はツグミから返ってきたノートを立ち上げる。
トーヤマの言葉が思い出される。
いったい何をきっかけにして、どんな事態を引き起すというのか。
まあ、その時は教えてくれるだろう。
トーヤマかそれとも、モニターの中の惨状が。
ブラウザを立ち上げ、自分のサイト、いや元自分のサイトに繋ぐ。
ベージュ一色のシンプルな背景に、紫色のゴチック体でVALLEY OF THE Kの文字。
Kの部分をクリックすると、煉瓦模様のブロックの中にKV1からKV64の文字が並ぶ。
その内、KV1からKV14までは更に階層を進むことができ、KV64は掲示板に切り替わる。
俺は適当に中身を確認する。手を加えられている形跡はない。以前と変わらない。
以前からここを訪れている奴で、管理人が変わっていると気付く奴はいないだろう。
KV64に入る。まだ掲示板は残っていた。
それどころか普通に書き込めそうだ。
実際一番新しいコメントの日付は六時間程前のものになっている。
だが、書き込み件数は十五万件を越えている。
限度数をとっくに越えているから、トーヤマが改変したに違いない。
燃え続けさせようってのか。
無理な相談だ。あいにくネット住人は飽きっぽいのが特徴の一つだ。
その証拠に二日前から極端に書き込みが減っている。
ざっと読んでみたが、ほとんどが俺個人とサイトに対する誹謗中傷と、
その誹謗中傷を非難する、又は同意する戯言の連続だった。
何十キロにも渡る渋滞に巻き込まれたのに似ているかもしれない。
先頭がどうなっているのか誰にもわからないように、
ことの発端は全く不明で、その後の意味のないやりとりが延々と続いている。
重要なことは二つ。
一つは俺の実社会でのパーソナリティと
ネット社会のトーヤマが結びつけられ暴露されてしまった。
これからはトーヤマとしての活動も発言も大きな制限がかかるということだ。
いや、一切不可能かもしれない。だが、手はある。
このままトーヤマのパーソナリティを維持しつつ、別のトーヤマとして動けばいい。
トーヤマという名は便利この上ない。
もう一つは新しい管理人がシステムを改変しただけでなく、
スレの発言にまで手を出した痕跡を発見したこと。
掲示板のスレ番号が飛んでいる。
管理者が消したようだ。ここは芸能人のブログじゃない。そんなことをする必要はない。
俺はレイミを立ち上げ、トーヤマのアクセスコードを入力した。

 〉そっちから連絡してくるなんて珍しいな。チャットでいいのか
 〉チャットがいい。そんなことより、今王家の谷にいるんだが
 〉知ってる。KV64だ。知りたいことは?

管理者様は全てお見通しらしい。
目の前のノートがリアルタイムで作用するスパイウェアに侵されているのかと思うといい気はしない。

 〉削除済ログの内容
 〉たいした意味はない。煽っただけだ
 〉消すことで陽動?
 〉その通り。あいつらは反論と同じくらい消されることも喜ぶからな

トーヤマは熱くなったスレ住人の心理を的確に把握している。
それもマイナスに働く陽動ならお手の物だ。
俺が感心しているとトーヤマの書き込みが続く。

 〉完全版のアドレスなら教えてもいい。が、
 〉が?
 〉何を調べてるか教えろ

俺はキーボードから指を離した。
トーヤマを信用することはできない。
利用するのも難しい。
逆に利用されるだけかもしれない。
だがもし、協力者になってくれるとしたら心強い存在であることは間違いない。

 〉一つ、取引きしないか
 〉話してみろ

さて、どうする。どう切り出す。

 〉中本真也は犯人じゃないと考える。替え玉だ
 〉面白いね。続けろ
 〉その証拠を突き止めたい
 〉根拠はあるのか
 〉ないから調べてる
 〉それじゃあ確信はあるのか
 〉そんなものはない
 〉俺にどんなメリットがある?
 〉そんなものはない

返事がない。でも俺にはわかっている。
トーヤマがこの取引きに応じないわけがない。俺にはわかっている。

 〉わかった。協力しよう

そう書き込まれるのと同時に、デスクトップの方にメールが届いた。
差出人はramessesとなっている。

 〉ウイルスはないから安心しろ

今は信用するしかない。俺はメールを開いた。
奇妙な程短いアドレスが書いてあるだけで、他には一文字も書かれていない。

 〉何かわかったら教えてくれ。俺はガイアの過去ログを漁ってやろう

どうやらほんの数分前のガイアへのアクセスすらも監視していたらしい。
こいつにはスパイウェアなど必要ないんじゃないのか。

 〉手際の良さは尋常じゃないな
 〉時はカネなりだ
 〉それじゃあな相棒
 〉相棒じゃない。コピーだ

俺はレイミをシャットダウンし、
デスクトップに届いたメールに記載されているアドレスをクリックした。
ブラウザに極小文字で王家の谷の掲示板の内容が列挙されていく。
とてつもない文字量だ。とてもじゃないがこのままでは読むことはできない。
ノートで開いている王家の谷の掲示板の内容を全てコピーし、
オンラインのフリーメールサイトで以前取得した
アドレス宛のメールに全てをペーストし、送信。
次にデスクトップでフリーメールサイトに接続し、
届いているメールを開き、その内容を全てコピー。
これで漸く素材が揃った。
病魔が巣食ったノートはもう必要ない。
テキストエディタを起動し、両方の文章を検索にかけ、共通するものを全て削除する。
そこに残されたものが、トーヤマが消した書き込みということになる。
俺はその五〇〇行ばかりの文章を読んでいく。
悲哀のメリトアモン、というサインが複数回出てくることに気付いた。
文体は女っぽい感じだが、そんなものに意味はない。
文章の内容は俺があの日の朝アナウンサーにインタビューを受けた内容についてのものだった。

 〉トーヤマさんの顔、初めて見ちゃった。ちょっとイケメンじゃん。
  もっと早く教えてくれたらいいのに。でもさ、暗いよね。
  たいして知りもしない同い年の元クラスメイトが死んだにしては暗すぎない?
  こんなサイトの管理人のくせして。なんかムカついた
 〉納得って何に納得したかったの? 殺し方の正当性? 殺し方の必然性?
  そりゃトーヤマさんなら興味もつでしょーけど。それは納得してあげる
 〉邪魔者がうるさいな。あんたらと話すつもりなんてないからね。
  私の王様のこと悪くいうとみんな殺しちゃうから。あんたらみんな墓場行き
 〉王様はね、忙しいの。マスコミなんかに追われちゃってちょっとダサいけど。
  それもこれもシンヤが馬鹿だから悪い。馬鹿はみんな死んじゃえ
 〉王様、なんで消すの? あんた誰?

罵詈雑言が重なり合う文章の塊の中に、
悲哀のメリトアモンのコメントは明らかに異質だ。
確かに女性の書き込み自体ほとんどないのだが、それだけが理由でトーヤマはこれを消したのか。
消せば他の奴らが動く。
たぶんトーヤマが煽る為に書き込んだものもたくさんあるのだろう。
消すことも書き足すことも、目的は同じだ。
俺はデスクトップでレイミを立ち上げる。と、同時にトーヤマからアクセスがきた。

 〉早いな
 〉教えて欲しいんだが、悲哀のメリトアモンとは誰だ
 〉おいおい、王様がそんなこと言っていいのか。娘だろ
 〉正確にはラムセス二世の娘だ
 〉俺は四世だ、関係ない。気付いてなかったとは言わせないぞ
 〉そんなことはどうでもいい。こいつがシンヤと書いてる。どうしてだ?
 〉シンヤ? 気付かなかったな
 〉それもこれもシンヤが馬鹿だから悪い。馬鹿はみんな死んじゃえ。とある。
  速報の出る一時間前の書き込みだ

返事がない。奴も持ってる情報を洗ってるんだろう。

 〉ガイアにも見つけた。悲哀が貞淑になってるが同一人物だ。
  王家の谷への書き込みの五分後に、アダルト系のスレに書き込んでいる。
  シンヤ、抱いて、とある
 〉可能なのか? 犯人の名前を知っていたことに整合性はあるのか?
 〉わからない。調べてみる。だが、今の段階では不自然だと言わざるを得ない
 〉それで、悲哀で貞淑なメリトアモンとは何処のどいつだ?
 〉不明だ。アメリカ、中国、エストニアのサーバ経由で
  アクセスしてきていることはわかったが、そこから先は不明
 〉エストニアはログを残してない
 〉そうだ
 〉いや、まて
 〉どうした
 〉カッコウで辿ってみる。しばらく時間をくれ
 〉おい、カッコウってなんだ?

一方的にシャットダウンされた。カッコウが何を指すのか、俺にはわからない。
何かが腑に落ちない。何か見逃している。
小吉。小吉。吉。俺は携帯を元の場所に戻し、レイミのログを読み返す。
アダルトサイト。どうしてそんなところに。
俺はデスクトップのキーボードを手元に引き寄せ、ブラウザでガイアを開く。
トップページから年齢認証ページを通過しアダルトスレに入ると、
全件検索で貞淑なメリトアモンを探した。
過去一ヶ月の間に、【ゴスロリ絶対領域・121】スレにのみ二十件の書き込みを見つけた。
少な過ぎる。少な過ぎることに何かしらの意味が隠されているはずだ。
二十件の書き込み全てに目を通した。
理由を推測するのは簡単だった。誰かと連絡し合っているからだ。
内容自体は只のエロい誘い文句でしかないが、
ここでの書き込みが特定の相手との連絡網の第一段階であるとしたらどうか。
そうして連絡を取り合い、改めて安全な場所で目的を達すればいい。
誘いをかける女の書き込みに反応するその後の書き込み人数は優に数十人にのぼる。
全二十件の書き込み全てに即レスを付けている奴を十六人見つけた。暇な奴が多いことで。
貞淑なメリトアモンの書き込みもスレタイ通り絶対領域に関わるものが多い。
検索サイトで調べてみた。ようはボトムとソックスの間にできた素肌の部分を指す言葉だ。
どうやら黄金比というものまで決まっているらしく、4:1:2.5が正しい比率らしい。
それぞれ、スカート丈、絶対領域、膝から太ももまでのニーソックスの丈、ということになるそうだ。

 〉わたしは3:1.5:3でオーバーニーがいいな。ニーソだと持ってるスカート短すぎちゃうから
 〉うんうんそうだよ。階段上がってる時は鞄とかでお尻隠してる。時々わざと見せちゃうけど
 〉今日電車で眠りこけちゃって、目が覚めたら思いっきり膝開いてた。
  超ミニだったからきっと丸見えだよね
 〉ブブー。それはわたしではありません
 〉履いてするの、好きだよ。みんなも好き?
 〉そだね。みんなが好きなの履いてあげる。プレゼントしてくれたら嬉しいな
 〉ゴメン。もう受け付け締め切っちゃいました。一人だけじゃないとカラダもたないもん
 〉4:1:2.5ってこの国の子向きってことだよね。リアルにかわいい感じ?
 〉わたし? 御想像にお任せします。でも、期待は裏切らないよ、きっとね!
 〉トイレでしちゃう時とかさ、いいよ。バックでされるの好きだなー
 〉あるよー。流れでそうなることあるじゃん? もともと好きだし
 〉みんなはさ、ノンガーターも好きかな。私はむっちり系だからどうだろ。好きならいいの?
 〉欲しい! 欲しい! どうしたらいいの? 近くなら会ってもいいかなー。なんて
 〉こないだはどうも。ちょっと興奮しちゃった。エロいなー、アナタって。でも良かったよ
 〉ねえ、サイハイってどこに売ってるの? 教えてくれたらお礼しちゃうよ
 〉絶対領域ってコトバ、好きだな。ほら、わたしってば貞淑ですし。えへへへ
 〉朝とかどお? もちろん外ね
 〉今日御坂通りに行くよー。時間はナイショ
 〉今ちょっとブルーなの。誰か慰めてほしいな
 〉シンヤ、抱いて

不自然な感じはない。他の書き込みと比較してみても、
また貞淑なメリトアモンに対するレスの内容からしても、
この書き込みはごくごく一般的な内容に思われる。
単に趣味の場なのかも。
ここが元々の活動の場である可能性もなくはない。
書き込みの少なさも元々そういう性分だと言われれば納得できないこともない。
だけど、もしもそうであるのなら、最後の書き込みは不自然過ぎやしないか。
どうしてこの書き込みだけ名指しなのか。
不思議な一致もある。
貞淑なメリトアモンが書き込みを始めた日付が、マサが事件に遭遇した日付に近い。
ガイアのトーヤマが推測した、拉致されたとされる日付の二日前が最初の書き込みになる。
そして最後の書き込みは、マサを殺したとされる中本真也が逮捕される数十分前だ。
中本真也が実行犯で貞淑なメリトアモンが指示犯である可能性はないのか。
だが、どの書き込みがシンヤなのか。そもそもシンヤは書き込んでいるのか。

レイミのアイコンが点滅している。
誰かからの呼びかけだ。

 〉メリトアモンの使用PCを特定した
 〉どうやって?
 〉巣立ったカッコウを回収しただけだ。ただ、見つけるのに手間がかかった
 〉カッコウとはなんだ?
 〉お前のPCにも一匹いる。PC内で栄養を蓄え成長し、やがてネットの世界に巣立つ
 〉巣立ったカッコウは巣の記憶を残している
 〉そうだ。ちなみに巣が位置を変えた場合、新しいヒナを育て再び巣立たせる
 〉カッコウを見つられるのはお前だけ
 〉くだらない話はいい。メリトアモンは黒川市内のネットカフェ、
  ボナンザブラザーズから書き込んでいた
 〉益々怪しいってことだな
 〉思い当たるフシでもあるのか
 〉いや
 〉まあいい。いずれわかる。お前は何かつかんだか
 〉ガイアへの書き込みはマサが拉致られ遺体が発見されるまでの期間と一致する
 〉面白いな。お前の考えを聞かせろ
 〉悲哀で貞淑なメリトアモンが指示犯で中本真也は実行犯。
  ガイアで連絡をとり、指示を与えていた
 〉確証はない
 〉ああ。俺はこれからBBに行ってみる。使用記録くらい残っているはずだ
 〉ネットで探せばいいだろ
 〉あそこは今どき利用者に手書きで住所氏名を書かせる
 〉ある意味最強のプロテクトだ
 〉内側に入ってしまえば関係ない
 〉わかった。また何かつかんだら教えてくれ。俺はお前を観察させてもらうとしよう

俺はレイミをシャットダウンし、携帯でカズミとタイチを呼び出し簡単に事情を説明した。
が、あいにくと待ち合わせは三十分後だ。女は面倒臭い。
メシでも食うことにしよう。大黒屋の焼きそば。
二人に待ち合わせ場所変更のメールを送信し、俺は身仕度を整えた。
シマムラの黒いパーカーにラングラーのブーツカット。
ミレーのデイバックにネットブックを入れた。
と、部屋の扉が静かに閉る音が聞こえた。
どうやら、俺を観察したい奴は身近にもいるらしい。

 3

大黒屋は自宅から五分程の場所にある潰れかけた駄菓子屋だ。
すぐ隣が児童公園で、学校指定の通学路沿いということもあって、ここを知らない奴はいない。
俺も入学したての頃から通っている。
店内は狭く、四畳半程のスペースに色褪せた丸椅子が四つと、
使い込まれたお好み焼台、それに店の半分を埋め尽くす駄菓子。
店の外、よれたひさしテントの軒先にはゲーム機が二台。
あの頃も今も何一つ変わってやしない。
当時から潰れかけた駄菓子屋だったということだ。

「ツグミちゃんは元気にしてるかい」

蒸し麺二玉をコテで鉄板に馴染ませながらおばちゃんが訊いてくる。

「元気だよ。あんまり話とかしないけど」
「そんな年頃だわ」

おばちゃんは豪快に笑って山盛りキャベツを投入する。

「前はねえよく顔見せてくれてたけど、最近は見ないからどうしてるのかなと思ってね」

そう言えば俺もここに来たのは一ヶ月ぶりくらいだ。少しずつ足が遠のいている。
ここに来ない分の時間、俺は何処で何をしているのだろう。

「スイーツとか食べに行ってんじゃないかな」
「そういうもんかねえ」

ソースの焦げる芳ばしい香りが広がり、胃袋が刺激される。

「はい、お待ちどうさま」

コテで俺の目の前に出来上がった焼きそばが押しやられ、イワシ粉と青のりが振りかけられる。

「すっげぇ美味そう。いただきます」

鉄板で食べる焼きそばが一番だ。
それも大黒屋の焼きそばに敵うやつにはお目にかかったことがない。

「やっぱ美味いね」

おばちゃんは答えを口にせず、むふふと笑顔だけ浮かべると、
暖簾をくぐり店の外に出ていった。箒とちりとりを手にして。

「あら、懐かしいわね。どうしてたの」

外からおばちゃんの声が届く。

「戸部利に? 全然知らなかったじゃないの。
 越しちゃう前に一言言ってくれたら良かったのに。でも懐かしいわね。
 寄ってくでしょ? 玉子せんべい食べてきな」

相手の声が聞こえない。すぐ外にいるはずなのに。

「あらそう残念ねえ。それじゃ帰る前に一度顔出してね」

足音もしない。気配もない。
おばちゃんが箒を使い、歩く音だけが聞こえる。
俺はほとんど意識もなく焼きそばをたいらげた。
最近は納得のいかないことだらけだ。

「ちわー」
「中にいるよ」

タイチが来たらしい。マウンテンバイクを隣の児童公園の柵に預けカギをかけている。
どうしてさっきは気配が全くなかったのか。

「よ、お待たせ」
「タイチ、メシは」
「俺はいい。電話の前に食ったから」
「カズミは?」
「さあ」
「一緒に来ると思ってた」
「御坂で買い物してたから俺」

といいつつ荷物がない。片掛けの小さなワンショルダーだけだ。

「悪いね、デートの邪魔しちゃって」
「読みが甘いね、トーヤマくん」
「外でその名前使うなって言ってんだろ」
「カリカリすんなよ。わかってるって」
「それよりさ、お前が来た時、通りに誰かいたか?」
「おばちゃんがいた」
「それは俺も知ってる」

タイチはちょっとだけ考えているそぶりを見せた。でも結論は早い。
それじゃあさっきのおばちゃんの声はどういうことだろう。

「誰もいなかったけどなあ」

携帯が振動している。手に取って着信を確認する。
カズミからメールだ。タイチも自分の携帯を開いている。
短い文章が書かれているだけのメール。

「急ごう」
「おばちゃん、ごちそうさま。金置いとくから」

俺たちは大黒屋を飛び出すと、呆気に取られているおばちゃんを横目に
マウンテンバイクに飛び乗り、通りに躍り出した。

ボナンザブラザーズの前には人だかりができていて、
消防車が二台と救急車とパトカーがそれぞれ一台ずつ停まっていた。
既に火の勢いはおさまったらしく、放水は行われていない。
店の前の路面は一面水びたしになっていて、
消防隊員はホースを巻き取り、撤収作業に入ったようだった。
雑居ビル一階がボナンザブラザーズの店舗になっている。
割られたスイングドアの入り口部分が真っ黒に焼けただれているのは確認できるが、
道路に面したガラス窓から伺える店内は、整然と並ぶパソコンも変化ないように見える。
奥にある個室部分は定かじゃないが、どうやら小火程度だったようだ。
今そのドアの前で制服警官から事情を求められている人がいた。
ボナンザブラザーズの店員だろう。
足元はぐっしょり濡れているけど、火傷などの外傷は見受けられない。

「ヤマト! タイチ!」

突然背後から背中をバシンと叩かれる。
俺は呆れて背後を振り返った。

「やめろよ、カズミ」
「なによーその棘のある言い方。せっかく機転きかしたのに」

タイチが俺の顔を睨んでいる。わかったよ。

「ごめん。ちょっと動転しちゃってさ」
「嘘っぽい。ヤマトは嘘つくとすぐ顔に出る」

タイチは笑いを堪えている。はいはいわかったわかった。

「それで、カズミはいつ着いたんだ」

一つわざとらしい溜め息をついて、カズミは話す。

「十分くらい前かな。大黒屋向かってる途中でサチからメール来て教えてくれたの」

サチはカズミの大親友で俺の天敵だ。

「それでこっちに先回りしたってことか」
「これでもヤマトがしたいことはわかってるつもりなんだからね」

そう言って、カズミは事情を説明している人物に視線を向ける。

「今日はあのバイトの人しかいなかったみたい。
 救急車でお客さん二人が運ばれていったけど、他に店員らしい人は見てない」

ボナンザブラザーズの店員はお揃いの黒いエプロンを付けているからすぐにそれとわかる。

「客はその二人だけ?」
「ほら、あそこ」

カズミが視線だけで指し示す先、隣の金券ショップの前で
ぐったり座り込んでいる人が三人。
スーツ姿の若い会社員風の男と、大学生くらいだろうか、
金髪で短髪の男、それからオタクっぽい背の低い男が一人。

「あの三人とは別におじさんっぽい人と女の子が一人救急車で運ばれていった」
「その救急車の二人はどんな容態だったんだ」
「うーん、怪我とかはなかったと思う。煙を吸い込んじゃったんじゃないかな。
 濡れたタオルを口元にあててた」
「もしかして、その女はゴスロリ服着てたとか」
「普通の格好だった。そんなの着てたら最初に話してるって」

警察に事情を説明していた店員が三人の客の元へと移動する。
警察官は訝しげな目でその背中をじっと伺っていたが、
消防隊員から説明を求められその場を離れていった。

「竹ノ屋の前で集合な」

俺は小さくそう伝えその場を離れた。
野次馬の中を目立たないようにそっと移動し、金券ショップに向かう。
タイチとカズミは野次馬の整理に当っている警察官の元へと移動し、
何があったのかと通りすがりの学生のように問いかけている。

「あの、BBの方ですよね」

三人のお客に頭を下げその場を離れようとしていた店員に話しかけた。
店員は怪訝な様子で俺を見る。

「三時に待ち合わせしてたんですよ俺。
 彼女と連絡とれなくって、それでもしかするのかなって」
「さっき救急車で運ばれた人かな。ここ一ヶ月くらい来てた人」
「今日は普通の服で来るからって言われてたんだけど」
「ああ、じゃあそうだ。今日はゴスロリじゃなかったもんな。
 安心していいよ。ちょっと煙吸い込んじゃっただけみたいだから。
 救急の人に訊いたら病院教えてくれるんじゃないかな」
「本当ですか。良かった。さっきから携帯繋がらないし俺ビビっちゃって。
 どうもありがとうございました」
「いやそんな、こちらこそ申し訳ない」
「あの、これってもしかして放火?」
「たぶんそうだと思う。トイレから火が出たから」
「そうなんだ。俺この店気に入ってたんだけどな。
 また再開しますよね。そしたらまた俺来ますから」
「ありがとう。店長も喜ぶよ」

俺は大きく頭を下げてその場を離れた。
そうして、一つ先の交差点まで移動すると、竹ノ屋書店の店先のベンチに腰を下ろし、
デイバッグからネットブックを取り出してレイミを起動する。
ベンチの脇には俺たちのマウンテンバイクが並べて停めてある。

 〉どうした?
 〉BBが放火された。偶然居合わせたメリトアモンが救急車で運ばれたらしい
 〉偶然な。少し待て

俺はネットブックから顔を上げ、周りを窺う。
俺を監視している奴はいないか。
ありふれた街中の賑わいに異質な雰囲気を漂わせる人物は見当たらない。

 〉大黒慈愛病院だ
 〉また連絡する

レイミをシャットダウンし、ネットブックをデイバッグに納め、
俺は竹ノ屋書店の自動ドアをくぐる。入れ代わりに大柄な男とすれ違った。
男はちらっと俺の顔を見た。微かに、油の匂いがした。
俺は振り返り、通りを窺う。もう姿はない。
もしかして、パソコン画面を覗かれた?
俺たちのマウンテンバイクに気付いてここで張っていた?
ガラスに映り込んだ俺の戸惑いの顔が自動ドアと共にスライドし、
驚いた顔のカズミとぶつかりそうになった。

「ちょっとなにしてんのよ、危ないなあ」

カズミ。タイチ。その向こうには誰もいない。

「その顔、何かあったのね」

カズミのすぐ後ろに立っているタイチも怪訝な顔を向けてくる。

「いや、わからない」
「わからないってどういうことだよ」
「とにかく、出よう」

俺はそれだけを告げると外に出た。
マウンテンバイクのスピードメーターのGPSに目的地、大黒慈愛病院を入力する。

「どうやら例の女が病院に運ばれた女らしい。今から行ってみようと思う」

俺はGPSの通信機能をONにして、目的地を二人のスピードメーターに転送する。

「それから火元は店入ってすぐのトイレで、放火の可能性がある」

俺の言葉にタイチが応える。

「店員がすぐに気付いて裏口から客を外に誘導したらしい。
 ただ個室にいた客が煙を吸ってしまった」

情報は警察官のものか。俺が店員から訊いた内容と矛盾はしない。

「客を外に出した店員はもう一度店内に戻り消火を試みた。
 ほぼ消えかかったところで消防車が到着。あっさり鎮火」
「燃えたのは入り口付近だけで、店内はほぼ無傷。
 でも水かぶってるからパソコンはダメだろうね」

状況証拠が語っている。

「時間は?」

状況証拠が、全て語っているように思う。

「通報があったのが一時半くらいみたい」

俺が家を出た直後だ。
ツグミが関係している可能性が高い。

十五分くらい走り、大黒慈愛病院に到着した。
救急指定の病院として、市内北部では名が通っている大病院だ。
俺たちはマウンテンバイクを自転車置き場に停め、真っ直ぐエントランスに向かう。
整然と並んだ長椅子。奇妙に静かで、それでいてざわついた雰囲気。そして消毒薬の匂い。

「なあ、救急で運び込まれた患者の病室って誰にでも教えてくれたっけ?」
「いや、無理だな」
「じゃあどうすんだよ。まさか俺に今すぐ骨折れとか言わないだろうな」
「オリンピック候補生にそんなこと言うわけないだろ」

やはりあいつに頼むしかないか。頼りっぱなしで気が進まないが仕方がない。
デイバッグからネットブックを取り出そうとしていると、カズミが自信たっぷりに俺を制する。

「ちょっとまって。私に任せて」

カズミはそれだけ言うと、真っ直ぐ救急受付けに向かった。

「どうする気だ」
「わからん」

にっこりと微笑み、受付けの女性に話しかける。
女性はある一角を指差し、カズミはその方向をちらっと窺うと
女性に礼を述べ、その場を離れた。
そして受付けの女性の指し示した方に迷いなく歩いていき、柱の陰に消えた。

「あいつ、親がここの医者だったりして」
「確か保育園の園長だったと思う」

俺とタイチの脇を松葉杖をついた老人が通り過ぎる。
二人は壁際でじっとカズミを待った。
しばらくすると、先程とは別の通路からカズミが戻ってきて、
壁に張りついて小さくなっている俺たちに手を振った。

「322号室だって」
「どうやったんだよ」

タイチが小声で問いただす。
すっかり病院の雰囲気に毒されてしまったらしい。

「ナイショ」

カズミはちょっとだけ得意げにそう言うと、
二人を案内するかのように、二階への階段に向かって歩き始める。

「納得いかない」

俺はそうつぶやいていた。勝手に。

「焼きそばなら売ってないぞ」
「籤引きでもしてなさいよ」

二人にからかわれるのはいつものことだから無視。でも納得はいかない。

「ちょっとまって」

カズミは階段脇にある売店に走っていき、金を払い、切り花を手にして戻ってきた。
俺たちはカズミに小さく頷き、三階へと向かう。

「なあ、やっぱりその女が放火犯なのかな」
「たぶん。あの状況で外部から入り込んで火をつけるなんて不可能だ」

少なくとも、実行犯はあの時店内にいた。

「それじゃあ犯人が例のゴスロリ服の女だとして、目的は?」
「それはもちろん利用者名簿なりデータなりを消すため」

カズミが後を続ける。だからこそ、入り口付近だけを燃やせばよかった。

「でもさ、自分で煙吸って病院に担ぎ込まれるなんて本末転倒じゃん。
 俺も救急車乗ったことあるからわかるけど、救急隊員に名前訊かれるぞ」
「そもそも煙吸い込んじゃったんだし、しゃべれないって押し通したとか」
「それは無理。書けって言われる」
「じゃあ偽名は?」
「その場ではいいけど、病院で調べたらすぐバレる。健康保険とかさ、あるじゃん」

カズミはそこで黙り込んでしまった。
確かにその通りだ。
自分の名前がばれないように火をつけたのなら、これでは目的を果たしたとは言えない。
階段を三階まで上がり、案内図で322号室を確認して真っ直ぐ向かう。
どうしたわけか周りが慌ただしい。
ナースステーション前を通り過ぎる時、中を窺う。
心配気な表情の看護婦達が何事か報告しあっている。
電話で説明する人、別の看護婦に指示を与え、飛び出していく人。
もしかして。
俺は小走りに322号室に向かった。
二人も続く。322号室入り口には結城留香とある。
扉は開け放たれていて中は空だった。

「おかしいよ。さっきは確かにいたのに」

カズミが切り花を胸に抱いて呟く。
女性名の個室を全て覗いて確認したってことか。

「トイレとか、検査とかじゃないのか」

いや、違う。看護婦たちの慌ただしい様子からもそうじゃない。

「フェイクだったんだ」

煙を吸ったことにして救急車であの場を離れ、警察がやってくる前に病室から姿を消す。
結城留香という名前も偽名で間違いないだろう。

「行こう。警察がくると面倒だ」

俺は小声でそう伝える。
足早にその場を離れ見舞客を装い階段を降りる。
エントランスまで戻り、外来患者の波に飲まれるようにして一息つく。
俺たちの前を緊張した面持ちの制服警官が三人通り過ぎていった。

「これからどうする?」

タイチが空いていた長椅子に座り込み言った。

「わからない」
「手がかりなしか」

いや、まだ手はある。でも俺はそこに行きたくない。
できることなら、そこに触れずにこの件を解決したい。
まだ他に何かないのか。見逃してることがあるんじゃないのか。
別の警察官二人がエントランスを通過し、看護婦に案内され階段の方へと向かった。

「とりあえず、ここを出よう」
「そうだな」

重い腰を上げるように、タイチは立ち上がる。

「思い出した! わたし、あの人知ってる」

カズミが場違いな声を上げた。
すぐ隣にいた熱っぽい顔の五歳くらいの女の子がびっくりしてカズミの顔を見上げている。
警察官がこの場にいなくて助かった。

「救急車で運ばれていく時は全然わからなかったんだけど、
 さっき病室探してて寝顔見た時から気になってたのよね。どっかで見たなって。
 前にどこかで見たことあるって」

もちろん、寝たふりだったんだろうけど。と、ちょっとだけ怒った顔でカズミは続ける。

「ほら、駅前にライブカメラ仕掛けて張り込みしたことあったじゃない」
「ヤマトが全部観て調べたあれか」
「そうそう。あの時、私たちも手伝ったじゃん、カメラ取りつける時とバッテリー替える時に」

タイチが苦い表情を浮かべる。
あの時はっきりした、タイチにはジャグラーとしての才能はない。

「あの映像に映ってる」

カズミは自信たっぷりに言い切った。目の前に人差し指一本立てて。
俺は全く覚えがない。
そもそも目的のもの以外見てもいなかった。
無数の人の流れに意識を向けるような余裕はなかった。思い返してみても。

「ねえ、あの時の映像って残ってないの?」
「ある」
「それじゃあ今から見てみようよ。ヤマトの家に行けば見られるんでしょ」
「いや、タイチのとこにしよう。ネットに繋がればどこからでも見れるから」

俺の家はだめだ。少なくとも事態がハッキリするまでは。

「俺は構わないけど」

タイチは訝しげな目で俺を見る。俺は無表情に見返すことしかできない。
タイチには話した方がいいかもしれない。いや、もう悟られているような気もする。

「それじゃあ決まりね。急ご」

カズミは自信にみなぎった表情で一歩踏み出したが、手にしている花に目をやり足を止めた。
そして、目一杯魅力的な笑顔を浮かべ、すぐ隣でカズミを見上げる女の子に花を差し出した。

「はいこれ、お大事にね」

タイチの家は市営住宅の五階にある。
一言で言うなら相当くたびれて息切れしているような住宅だ。
壁は薄汚れ、ベランダや階段の鉄柵はどれもこれも赤茶けている。
棟と棟の間は公園という名の荒れ地で、遊具もベンチも地面も空気も荒れている。
例年通りの冷夏でも雑草は激しく成長し、この空間の主人が誰かを主張している。
頭上を、鋭いエンジンを響かせ空軍のF‐15イーグルが二機通過していく。
桂ヶ崎空軍基地から離陸した機体だ。
真っ青な夏空を背に機体が陽射しを受けて光っている。
きっと海上へと抜け訓練飛行に移るのだろう。
この地区にはタイチが住んでいるような市営住宅があと三つある。
それに未だに汲み取り式トイレの煙突が並ぶ、うらぶれた長屋なども。
旅雑誌や番組で見かける旧い街並み、佇まいという形容には程遠い。
自転車置き場にマウンテンバイクを並べ、
外階段を上がって五階まで上がる。エレベーターなんてない。

「誰もいないから」

鍵を挿し込みながらタイチは言う。
母親と二人暮らしの一人っ子。
タイチの親はタイチが中学に上がる前に離婚している。
母親はパートをかけもちしてタイチを育てあげた。
来年には軍に入って寮生活か、それともスポーツ特待でオリンピック強化選手として寮暮らしだ。

「ウーロンでいいかな。持ってくから部屋行っててよ」

キッチンで手を洗い冷蔵庫を開けているタイチの後ろ姿を横目に、俺は部屋に向かう。

「お手洗い借りるね」
「どうぞー」
「手洗わせてくれ」

俺は思い返しキッチンで蛇口をひねり水で手を濡らした。

「妹のことだろ」

冷蔵庫からウーロン茶が入ったボトルを取り出し、グラス三つに注ぎながらタイチが言う。

「疑ってんのか」
「どれもこれも胡散臭すぎるんだ」

自分のハンカチで手を拭きながら、俺はウーロン茶の注がれたグラスに手を伸ばす。
確証がなくても、前提として見据えて考える癖が俺にはある。
いつもならそれで自信を持って行動してきた。でも今は不安感の方が大きい。
もしもそうであるのなら、俺はどうしたらいいんだろう。

「証拠はないんだろ」
「でも、シロだという保証もない」

ウーロン茶を一息に飲み干し、俺はタイチと目を合わす。

「クロだったらどうすんだよ」
「わからん」

水を流す音が聞こえ、俺とタイチはキッチンを離れ部屋に向かった。
その時がきて、俺は妹とどう対峙するのか。今はまだ考えたくはない。
タイチの部屋は殺風景この上ない。
一組のデスクと、マンガが詰まったカラーボックス。それと使い古された衣装タンス。
デスクの上には型遅れのノートパソコンが載っている。
タイチはカズミ用のウーロン茶をデスクの隅に置くと、ノートパソコンの電源を入れた。
一つ前のOSが立ち上がり、しばらくお待ち下さいという文字が液晶から滲み出すようにして明滅する。

「お茶もらうね」

カズミもまたウーロン茶を一気に飲み干し、畳の床に座り込む。

「それで、データはどこにあるんだ?」
「貸してくれ」

俺はタイチと席を替わり、ブラウザを立ち上げるとフリーメールサイトを呼び出した。
IDとPASSを入力し自分専用ページを開く。

「世界中に無数にあるサーバには、システム的に未使用のままの
 データ領域ってのがごくわずかずつあって、
 それら極小サイズの保存領域をかき集めて
 一つの領域として使用できるシステムを作った奴がいる」

そんなことができる奴はこの世界でも限られている。
俺は偶然そいつと知り合った。
しかもそいつはネットの暗部で好き勝手やることを極上の喜びとする種類の人間だ。

「それで、そのシステムを作った奴から、俺は全領域の十五パーセントをもらった」

受信メールボックスの一番下、保存用フォルダの更に一番下にある
THEBENというメールをクリックする。
表示されたのは一つのアドレスだ。そのアドレスをクリックする。

「それってどれくらいのサイズなの?」
「300万テラバイト」
「なんだそれ! そんな異常な容量あり得ないだろ」
「でも本当なんだから仕方がない」

俺はノートパソコンの画面を二人に向けた。真っ白な画面が表示されている。
THEBENエリアというタイトル。いくつかのファイル名。
そして使用可能容量の数値が表示されている。気が狂ったような数だ。

「マジこれ」

俺はノートパソコンの画面を戻し、目的の動画が保存されているフォルダを呼び出す。
ブラウザの中でサーチ中のマークがくるくると回転している。
場所は特定したが、ぶつ切りのデータを再構築し閲覧可能にする為、
何処かの国の超高性能なサーバが今この瞬間不正にフル回転しているはずだ。
だがもちろんシステム管理者がその事実に気付くことはない。
画面が切り替わり、動画ファイルの一覧が埋め尽くした。
あの日、約三ヶ月間に渡り朝から夜まで記録し続けた映像だ。

「カズミ、どれだ」

二人が俺の背後に立ち、画面を覗き込む。

「六月十二日のやつ」

カズミは揺るぎなく、確信をもって答えている。
今日はカズミに驚かされてばかりだ。
俺は2×××0612というファイルをクリックする。
ハイビジョンサイズの動画が映し出された。
秒間コマ数は十五コマと動きは多少ぎくしゃくしているが、
画質自体はハイビジョン画質なので細部まで認識可能だ。

「時間はわかる?」
「えっと、夕方。たぶん六時半くらい」

俺は動画再生ソフトのスライダーを動かし、十八時過ぎの映像を映した。
駅前の歩道スペースが画面全体に映り込むように、
少し離れた街路樹の幹に取りつけたカメラからの映像だ。
画面左上の日時表示によれば、この日は金曜日だからカクテル4は現われない。
フレームの正面に改札があり、仕事帰りや学校帰りの人が続々と溢れてくる。
この時間は電車の到着本数も多い。
定期的に吐き出される人間の数は相当な数にのぼる。

「この中に?」
「これ」

肩越しに差し出されたカズミの指が画面の一点を指している。
改札から数メートル離れた位置に立ち、手に持ったティッシュを差し出す女性。

「ティッシュ配りか」
「普通さ、このバイトって時間も場所もローテーションなのよ。
 でもこの人はこの日から二週間、毎日いたよ、この場所に。この時間に」

俺は二週間後の2×××0626ファイルを再生し、時刻を十八時半に合わせる。

「ほら、ここ」

カズミの言う通り、そこには二週間前の映像と同じ女性が立っている。

「本当にこの女で間違いないんだな」

悲哀で貞淑なメリトアモンの顔を実際に見ているのはカズミだけだ。

「間違いない。この人よ」

画面の中で彼女はひたすらティッシュを配り続ける。
疲れ切ったサラリーマンに無視され、何度もやってくる浮浪者に笑顔を向け、
次々と改札から送り出される人の波に手を差し出す。
初めて見る悲哀なメリトアモンは、ゴスロリ服で男を漁るような女には見えなかった。
集兵期間を終え社会に戻され、自分の居場所がまだ見つかっていない小さな存在。
ジーンズにスニーカーを履き、上着は配っているティッシュと同じオレンジ色のジャンパー。
消費者金融のロゴが背中で寂しげに揺れていた。

 4

ネットブックの電源を入れ、レイミを起動する。

 〉状況を教えろ
 〉メリトアモンは病院から姿を消していた。病室には結城留香とあった
 〉偽名だな。それでオシマイか
 〉今から二年前のある映像の中にメリトアモンを見つけた
 〉過去に逆戻りか。ソースに意味が?
 〉これから調べる。しばらく時間をくれ
 〉わかった。俺は何を?
 〉念の為、結城留香という名を調べて欲しい
 〉お安い御用だ

レイミをシャットダウンし、ネットブックを閉じる。
俺は上半身を反らせ、身体の強ばりを解く。
前方、黒川城の天守閣に鳳凰が二匹向かい合っているのが見える。
空はもう青くはない。夕空は既に秋へと近づきつつある。夏は短い。
俺は方城公園内のお堀沿いにあるベンチに座っていた。
すぐ近くでヒグラシが鳴いている。
木々はそよとも揺れてはいないが、腕にはひんやりした風が流れてくる。
二年前の六月、メリトアモンはこの時間駅前に立ちティッシュを配っていた。
そこにどんな意味があるのか、それはまだわからない。
一刻も早く調べたい気持ちもあったが、タイチたちと別れ、一人ここにやってきた。
漸く一日が終わろうとしている。
結局、俺は少しも真実に近づいていない。糸はもうほとんど切れかかっている。
携帯が鳴った。メール着信を告げるメロディ。
デイバックのポケットから携帯を取り出し確認する。
トーヤマからだった。
予想通り結城留香という名前に意味はない。全くの偽名だ。
ストラップの籤引きを振る。吉。
トレーニングウェアに身を包んだ中年女性が目の前を横切っていく。左から右へ。
一周二千メートルの、方城公園内に敷設されたランニングコースを走る人は多い。
スーツ姿の男が二人、ランニングコースを逆に近づいてくる。
気付いた時にはもう五メートルもなくなっている。
俺は携帯をデイバッグに戻し、いつでも走り出せるよう意識を奮い立たせ様子を窺う。
男は二人ともスーツの下に鍛え上げた身体を押し込んでいるように思える。
男の一人が立ち止まった。
お堀側にある丸太を模した柵に背中を預け、両手を胸のあたりで組む。
視線ははっきり俺を捉えている。
そしてもう一人は真っ直ぐに歩み寄り、俺の隣に腰を下ろした。

「桐生大和君だろ」
「だったらなに」
「煙草吸ってもいいかな」
「いいよ」

風下に座ったことも計算の内だろう。男は百円ライターで煙草に火をつける。
俺は前方を向いたまま、視線の隅で得られるだけの情報を探った。
隣に座った男は二十代後半か三十代前半くらい。
離れて立っている男はもう少し若い。
短く刈り込んだ髪はすっきりとまとめられ、第一印象通り、
二人ともかなり身体を鍛えていると思われる。

「俺に用ですか」
「本当はこんなやり方はしたくないんだ」

そう言うと男は胸元から一枚の紙切れを取り出し、俺の前に差し出した。
ツグミの写真だ。
学校の集合写真からの切り抜きコピーのようだ。

「妹がどうしたんです」
「君も昼間来てただろ、ボナンザブラザーズというネットカフェの火災現場に」
「友達と出掛けてて偶然通りかかったんです」
「そうか、まあそれはいい。店員から情報を訊き出していたことも大目に見よう」

話しながら、俺の顔を見ているのは気付いていた。
離れて見ている男もそうだ。
周りの様子を伺いつつ、視線はこちらに向けられたまま。

「病院から消えた女のことは君も知ってると思うが、 火災発生直前と思われる時間、
 あの店のパソコンの一台からレイミを使って会話された記録が見つかってね、
 その通話先が君の妹さんの携帯電話であることが判明したんだ」

どうやらあの女を追っていたことがばれているらしい。

「結城留香って人と話してたってことですか」

俺は初めて男にはっきりと視線を向けた。
にやりと唇の端を上げている。

「その名前は偽名だった。君は知っていたかな」

俺は心の中で悪態をつく。
大人に試されるのは嫌いだ。

「あの時、病院に運ばれたもう一人の人間がいた。
 加藤稔と名乗っていたんだが、その男も病院に到着するや姿を消した」

男は俺の表情から全てを知ったに違いない。
あからさまに視線を外しもう一人の男に向かって小さく首を振った。
俺が大きな間違いを犯していること。
男の話を聞きながら、頭の中で情報が交錯していく。
俺はとんでもない読み違いをしていた。
どの段階から。
そもそもの出発点からか。

「その男が使っていたパソコンから通話記録が見つかったんだ」

放火の目的は、別の所にあった。
悲哀のメリトアモンをこの世から抹殺すること。
ボナンザブラザーズに残されていた記録共々、全てを消し去るつもりだったんだ。

「どうやら見込み違いだったみたいだな」

男はポケットから携帯型の灰皿を取り出すと、短くなった煙草を潰した。そして続ける。

「君は何も知らない」

違う。俺のほうがまだ一枚カードを多く握っている。
この男はそれと気付かずに俺に新しい情報を提供したに過ぎない。
まだ、俺の方が一歩先を行っている。

「放火犯がその男である証拠は見つかったんですか」
「詳しいことは話せないけど、起訴に持ち込めるだけの材料は揃っている」

でも取り逃がした。
だからツグミを探している。

「それじゃあ結城留香はなんだったんです」
「それだよ。君と情報交換を期待してたんだけどな」

間違いない。イニシアチブは俺が握っている。
だがここは警察に分があると思わせておいた方がいい。
それとツグミのこともある。

「俺は何も知りませんよ」
「妹さんがどうなってもいいってわけだ」

男の言い方には蔑む匂いが漂っている。
だが、話の要点は放火についてであるし、
その放火の真意に警察が気付いているフシはない。
ツグミはあくまでも放火に限定した事件に関わっていると見ているはずだ。

「ツグミは、どうなっているんです」
「不明だ。それも少しは君に期待してたんだけどな」

ようは、何も押さえていない、ということだ。
どうして俺の前に現われたのか。
これまでの過程が漸く見えてきた。
それに間違いなく、放火事件の裏にある真相に警察は気付いてはいない。

「役に立てなくて悪いけど、俺は知りません。昼までは家にいたけど」
「その時のことを教えてくれないか」
「いいですよ」

俺の知っていること。
ボナンザブラザーズに火の手が上がった頃、妹は確かに家にいた。
携帯を使っていたところは見ていないから知らない。
俺はネットで遊んでいて、その後友達と遊びに出掛けたから、その後のことは知らない。

「わかった。君は何も知らない」
「そういうことになりますね」

男は膝に目を落とし、散った煙草の灰を払い立ち上がった。

「我々は君の味方だ。君もそうだろ」
「当然です。妹がもしも悪いことをしているのなら、やめさせなくちゃならない」

男は俺に一瞥をくれ、鋭い視線を投げてよこす。

「何かあったら連絡してくれ」

そう言って名刺を一枚差し出し、元来た道を引き返していった。
途中、若い方の男が二度俺を振り返ったが、
隣に座った男は一度も振り返ることなく、やがて視界から消えた。

俺は二人の男が立ち去るまで姿勢を変えず、黒川城の鳳凰を睨み付けていた。
名刺を鳳凰に重ねる。
六緒県警察刑事部捜査第一課、峯雄一郎。

七時半。
自宅に戻りデスクトップの電源を入れる。
ツグミはいない。
いつも履いているお気に入りの靴がなかったし、
念の為ツグミの部屋をノックしてみたが、
明かりの灯っていない暗闇から返事はなかった。
携帯にもかけてみたが留守電サービスに繋がるだけで受話ボタンは押されない。
一階、リビングからはテレビで野球中継を観ている母親の歓声が聞こえた。
ツグミがトラブルに見舞われていると考えるのは大げさ過ぎるか。
俺はブラウザを立ち上げ、六緒県警察のホームページを探し出し開く。
検索窓に峯雄一郎と打ち込む。
一瞬で導き出された結果は、俺が手にしている名刺の内容と全く同じだった。
県警の捜査官は顔写真を公表していないので、実質個人を特定する術はない。
名刺の隅にある手書きの携帯アドレスと携帯番号を検索サイトにかける。
登録者情報の開示はもちろん無理だが、キャリア名と登録地域は特定できる。
その内容もまた名刺の真実性を裏づけるものだった。
別のタブでフリーメールサイトにつなぎ、個人ページに入る。
THEBENメールを開き表示されたアドレスをクリックする。
2×××0612から2×××0626までの十四個のファイルをデスクトップにコピーする。
コピーにかかる所要時間はおよそ五分と表示された。

俺はデスクチェアに背中を預け、大きく息をつき天井を見上げた。
あの時と同じ作業をまたすることになろうとは思ってもみなかった。
だが今回はたかだか十四個だ。
朝五時半から夜十二時まで。全部で二六六時間。
朝までには終わるだろう。今夜の徹夜は諦めるしかない。
ふと、視界の隅に違和感を感じた。
俺は見慣れた部屋の状況一つ一つに視線を這わせていく。
昼過ぎ、ここを出た時には確かにあった。
でも今それは消えている。
ツグミが持ち去ったと考えて間違いないだろう。
処理中のデスクトップはそのままに、ネットブックを立ち上げ、レイミを起動する。

 〉待ちくたびれたぞ
 〉まだ作業を始めてない
 〉ふざけてるのか?
 〉明日の朝までに終えるつもりだ
 〉二人の方が早い
 〉悪いがこれは俺一人でやる

そうだ。あの時と同じ。これは一人でやらなければならない。

 〉好きにしろ
 〉トーヤマ、調べてもらいたいことがある
 〉言ってみろ、トーヤマ
 〉俺のPCのカッコウを探してくれ

返事がない。訝しんでいるのか、それとも既に探しているのか。判断がつかない。

 〉俺の推測が正しいのか教えてくれ。お前の妹が失踪した
 〉まだわからない。だが、警察も追っている
 〉状況は切迫しているわけだ。悠長に朝までビデオ観賞している場合か
 〉どのみち、俺にできることはない。お前に任せる

そうだ。俺には何もできやしない。
トーヤマの持っている情報と腕、それに経験。
妹を見つけ出せるのはトーヤマしかいない。

 〉わかった。また連絡する

レイミをシャットダウンし、ネットブックを終了した。
そうして昼過ぎまでノートのあった場所に置く。
間違いない、確かにここに置いた。

俺は一旦階下に行き、食事を摂った。
それとなくツグミのことを話題に出してみたが、母親から特別な反応はなかった。
夜八時前に家にいないことは珍しいことではない。今は夏休みだし尚更だ。
ついでにシャワーを浴び、スポーツドリンクのペットボトルを一本部屋に持ち込む。
つけっぱなしのデスクトップにメールの着信を知らせるマークが光っていた。
内容はトーヤマからのメールで、連絡をよこせとだけ書いてある。
俺はレイミを立ち上げる。

 〉お前のPCはまだ新しいカッコウを巣立たせてはいないようだ
 〉どれくらいの時間がかかるんだ
 〉新しいカッコウが巣立つには、同一アクセスポイントを利用し、
  同一サーバを経由している必要がある
 〉定着したかどうかを判断する為
 〉そうだ。定期的にサーチするよう設定はしたから安心しろ

感謝の言葉を書き込んでいる途中で通信は途絶えた。
まあいい。
頭を切り替える。
俺にはしなければならないことがある。
ほとんど切れかかった糸を再び真実へと繋げなければならない。
より堅牢な糸も、俺が辿りつくことを待ち受けている真実も、
どちらもがネットに存在しているはずだ。
まず、ブラウザを立ち上げガイアにつなぐ。
地方版とアルバイト関係、消費者金融関係のスレを表示させる。
ティッシュ配りの体系を調べ、瑞河駅前を含むエリア担当店を特定した。
同一エリアのアルバイト経験者を探したが見つからない。
同系列のアルバイト経験者を調べると数人見つかったが
特に参考になる書き込みではなかった。
更に別タブで検索サイトを開き、個人ブログを同じキーワードで探してみたが、
ほとんどヒットさえしない。
話題を書きたくなるような仕事内容ではないということか。
オレンジ色の消費者金融のホームページを立ち上げる。
利用者向けのページしか存在しない。
従業員やアルバイトの情報を引き出すことは不可能だ。
例え電話で人事なりと繋がったとして、名前も住所もわからない、
二年前に二週間だけティッシュを配っていた
アルバイト女性の素性を教えてくれるとは思えない。
そもそも記録が残っているかどうかさえ怪しい。
動画再生ソフトを立ち上げる。
日付順に調べていくのがいいだろう。俺は最初の映像を再生する。
早朝間もない時間、始発電車に合せて
僅かに改札に吸い込まれていく人が見受けられる程度。
この時間からティッシュを配ったりはしない。
再生スピードを十二倍速にし時間を進める。
午前七時半あたりから明らかに人の数が増え始める。
瑞河駅は黒川市中央のビジネス、商業エリアまで地下鉄で二十分程の住宅街に位置している。
この時間、吐き出される数と吸い込まれる数には数十倍の差がある。
悲哀のメリトアモンが何処に住んでいたのかはわからないが、
この駅を利用しているのなら、その利用時間、
回数から少しは情報を得られるのではと予測していた。
だが甘かったか。
通常再生スピードで出勤時間の駅前映像を見続ける。
あの時と違い、人物の特定が難し過ぎる。
カクテル4の場合は、三十二倍速で調査していても映像の変化は一目瞭然だった。
演奏する場所は毎回決まっていたし、四人組が楽器を抱え一所に立ち止まれば嫌でも目立つ。
考えを変えよう。
判明している事実から少しずつ輪を外へと広げていく。
一旦映像を夕方六時過ぎまで飛ばし、ティッシュを配っている悲哀のメリトアモンを映す。
少しずつ時間を遡り、アルバイトを始める時間を特定する。
固定カメラのフレームの端、一台の白いバンが停まり、
そこからオレンジ色のジャンパーを着たアルバイトが二人、
段ボール箱を抱えて降りてくるのを見つけた。時間は五時過ぎだ。
バンは二人が降車するのと同時に走り去る。
はっきりとは判らないが、車内には他にも人が乗っていた気配があるので、
別の場所にアルバイトを送迎していると推測される。
次に六時半以降に時間を進め、数分置きに飛ばし飛ばし確認していく。
七時過ぎの段階でオレンジ色のジャンパーは消える。
詳しく見ていくと六時五十分過ぎに同じ白いバンが現われて回収していった。
バイト時間は五時から七時までの二時間。
バンの映像を再確認してみたが、ナンバープレートは確認できない。
車体にはプリントもロゴもない。
もしかしたら消費者金融に直接雇用されているのではなく、
別の派遣会社なのかもしれない。
レイミのアイコンが点滅している。
時間は一時半。
カズミだった。

 〉まだやってるの?
 〉一本見ただけ
 〉そんなんで大丈夫なの?
 〉まあ何とかやってみる。コツが掴めてきたし
 〉無理しちゃだめだよ
 〉ありがと。そうだ、一つ教えて欲しいんだけど、どうしてこの二週間だってわかったんだ?
 〉それを私に訊くかな
 〉カズミ以外の誰に訊けって言うんだよ
 〉ヤマトはほんと女心がわかってないよね

俺はスポーツドリンクを口に含む。見落としてること、なんだ。

 〉名探偵さん、記憶力に問題ありですね
 〉??

誤魔化す為にクエスチョンマークを打ち込む俺はレベルが低すぎやしないか。

 〉ヒントはなしだからね。気付くまでは教えてあげない。
  それじゃわたしもう寝る。ヤマトも無理しないでね。お休み

返事を書き込んでいる途中で向こうから切断された。
まあ、いい。
頭を切り替える。
朝までに終えなければトーヤマにまで馬鹿にされる。
それはなんとしても回避しなければならない。
あいつにだけは負けるわけにはいかない。

二本目の映像を再生する。
同じように夕方五時から調べる。
ほぼ同じ時間に同じ白いバンがやってきて、
同じように段ボール箱を抱えた悲哀のメリトアモンが降車し、
同じ位置に立つとティッシュを配り始める。
しかし、七時前のラストの状況は異なっていた。
迎えに来た白いバンに本人は乗り込まず、空になった段ボール箱だけ渡すと、
その場で挨拶をし、歩いて画面から消えていった。
どうやらすぐ近くに住んでいるということらしい。
俺の予想では三日目はバンに乗って現われることもないのでは。
果たしてその通りだった。
三本目の映像以降、車が到着する五分程前には現場に歩いて現われ、
段ボールを受取りティッシュを配り、
帰りはまた空き箱だけ手渡すと歩いて画面から消えていく。
悲哀のメリトアモンは瑞河駅近くに住んでいる。
いや、少なくともこの二年前までは。今現在は不明だ。
もちろん確かめる方法はある。
駅前で張り込みをし、いつかは現われるであろう
悲哀のメリトアモンをつけて住み家を特定する。
それができれば本名の特定も過去を洗いだすことも可能だろう。
でももし今現在瑞河駅周辺に住んでいなかったとしたら。
こんな人海戦術的な戦法は組織の力がなければ無理だ。
偶然に期待するようなやり方で真実に辿りつけると考えるのは愚かだ。
とりあえず、全ての映像を調べよう。まだ最後の一本が残っている。
どうして二週間だけアルバイトをしたのか。
その答えもまだ得られていない。
元々二週間だけのアルバイトであった可能性はある。いや、その可能性は高い。
十四日目の映像を再生する。
前日までと全く同じだ。五時少し前に歩いて現われ、
白いバンが到着し、段ボール箱を受取り、ティッシュを配り始める。
俺は残り僅かの時間を飛ばし飛ばし確認していく。
いやまて。
俺はほとんど無意識的に映像を一旦停止させた。
六時半あたりの映像を食いつくように見る。
画面の左下。
二年前、俺がしつこく調べ尽くした映像だ。
脳味噌はあの頃のことを今も記録している。
俺が気付くよりも前に脳味噌が発見した。
カクテル4がライブの準備をしている。
日付を確認する。六月二十六日、木曜日。
止まったままの映像を再生させる。
段取りも悪く、楽器をセッティングしていく。
まだほとんど誰からも相手にされていない頃だ。
音を合わせるその姿からもぎこちなさが強調され、素人っぽい印象丸出しだ。
やがて、一曲目の演奏が始まる。
珍しいメロディラインだが上手くもないし、それどころかコードがブレたりする。
安定していないからアドリブが浮いている。はっきり言ってイマイチだ。
俺は信じられない思いで、この映像に見入った。
奏者でも、曲でも、数少ない足を止めて演奏を聴く人でもない、
ティッシュを配りながら、時々カクテル4に視線を向けている一人の女性の姿を。
電車がやってくる間隔にはカクテル4の方を向き、じっと見つめている女性を。
鼓動が速まる。
俺はブラウザを最前面に呼び戻し、THEBENメールを再び開きアドレスをクリックする。
当時、カクテル4についての検証作業を終え、
自己満足の為に作ったフォルダを呼び出すと、フォルダごとデスクトップにコピーした。
残り三十秒の表示がもどかしい。
コピー終了と同時にフォルダを開き、十八の動画ファイルを順番に再生する。
俺が行った検証作業の結果判明した
カクテル4のライブスケジュールを証拠付ける為に、その後再び撮った十八の動画だ。
それはカクテル4ライブレポートとして
ガイアとは姉妹関係にある動画共有サイトで話題を呼んだ。
トーヤマという名が一躍有名になったのもこの時期だ。
その映像の全てに悲哀のメリトアモンが映っていた。

 〉結果は?
 〉おはよう。挨拶くらいしたらどうだ

レイミを起動しトーヤマを呼び出すと僅かの間もなく繋がった。

 〉お前以外にはしている。それで
 〉メリトアモンとカクテル4が繋がった
 〉ずいぶん懐かしい名前だな。なるほど、お前の出世作から判明か
 〉最大にして最低な作品の間違いだろ
 〉お前の認識がお前を規定するわけじゃない
 〉すまないが疲れてるんだ。問答はまたにしてくれ
 〉疲れてるのはお前だけじゃないんだがな。まあいい。それで
 〉カクテル4のその後を調べる
 〉他に手はないしな。俺はガイアを漁ってやる
 〉頼む。俺は少し寝る
 〉まて。お前の眠気を吹き飛ばしてやる。今すぐニュースを観ろ

俺は促されるままモニターにフォーセグ放送を映した。
朝の情報番組の能天気な女性キャスターの顔の上に速報のテロップが流れている。
こんなこと、あるわけがない。

 〉ネットにリークはあったのか
 〉わからない。あったとしても気付かなかった

三体の遺体が黒川市内で発見された。
身元不明。
年齢も性別も発見場所もばらばら。

 〉どうやら一体は二日前から放置されていたらしい。人気のない場所で誰も気付かなかった
 〉それが深夜になって発見された
 〉一体は一時間程前だ。どうも胡散臭い
 〉匿名の電話とかメールという可能性もあるな
 〉同時、というのは意図があると自慢しているようなものだ

速報に流れている情報に、被害者三人の共通項は見当たらない。
ただ、今この瞬間、一つの速報で三人の遺体が見つかったと告げているに過ぎない。

 〉俺が考えていること、わかるか
 〉ああ。正直に言えば、その結果何もかもがわからなくなった

マサの事件の真相を追っていた俺たちは、少しずつ真実に近づいていると思っていた。
僅かに残された糸を見つけ出し手繰り寄せ、
切れそうになるのを回避し、今もまだ糸を握っていると。
だが、それは自惚れだったのかもしれない。

 〉俺たちは答えに近づいていると思うか?

トーヤマは答えない。
速報のテロップは、三体とも水溜まりの中に座り込んた体勢で発見されたと告げていた。

- つづく -
タグ:幻惑
posted by 志乃遙 at 21:49| ものがたり  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする